ファンファン会2007年中国遠征記

対局後の招宴



                    

上海旅遊奇怪記  2007.05.31 植村順二

 二泊の短期旅行ではありましたが、数多くの経験に出会いとても有意義にすごせました。

浦東空港に到着後、飛行機から降りて税関出口までの移動ベルトの長いことには、おっかなびっくり、私はよみの国へ来たのといぶかる程。成田、名古屋、関空、福岡からの10人の参加者が揃ったところで、早速「紫金山大酒店」という大ホテルにチェックイン。このホテルに面しているのが世紀大道――中国人の気風がほのかに香っているようだ。時間は3時過ぎ早速黄浦江の岸辺にそびえる上海のシンボル「テレビ塔」見物に足を延ばす。ここから地下鉄で2駅だ。地下鉄はすでに7号線まで完成し、2桁台になる日も近い。車内でハデなTシャツ姿の一人のハイティー

ン族が、見知らぬ小姐さんの前でさかんにウインクでデモッてる姿が目につく。
上海のテレビ塔東方明珠について早速最上階まで登る。高さ468米、海外からの投融資で完成は1994年。
昔の静かな農村の形跡は全くない。











テレビ塔からみた浦東





さて夕食はテレビ塔近くの上海料理店。夜景がよく見える窓際の個室。メニューは各自好みの品をオーダーしてくれという。但し代金が最低1500元以上が必要条件だ。各自好みのものを注文していくが半分にも達しない。ウエイトレスは困った様子で大きな海老をとれという。ところが今度は5倍以上に急騰?することがわかり、それはあんまりだと一悶着後えびは止めて皿数を増やして、やっとめでたしめでたし夕食にありつけた。


豫園入口付近の風景





 
さて
2日目は午後から囲碁の親善試合があるので、午前中一杯を観光にあてる。といっても

広大な上海だけに行く先の場所は限られる。先ずは豫園だ。ここは高級役人が老父を喜ばせるため私財を投じて作った庭園で20年をかけ1500年末頃完成したという由緒ある場所だ。西洋文化の影響が色濃い上海で伝統中国の風情を感じることのできる数少ない場所だ。名残惜しい思いをもって外灘まで足を延ばし、しばらく散策する。ここは90年代初めに整備された黄浦江沿いの遊歩道。対岸には昨日行ったテレビ塔の姿がくっきりと見える。これで三大観光名所巡りを終え、囲碁の試合をする市内の中心街にむかう。

 場所は茶坊と称する日本でいう喫茶店だ。そこで先ず昼食をとる。各自思い思い好きな物をオーダーしていっても何だかはかどらない。お茶はどうするとお茶のことばかりを気にしている。結局のところは、お茶を先ず注文すれば食事は好きなものが食べられるということだった。成程、喫茶店ではそういうシステムがこの国の慣行なのかと納得がいく。昼食もそこそこに待望の囲碁が始まる。戦績?言わぬが花、でも3割の勝率は先ずは順当なところか。今後の飛躍のきっかけにさえなればーーそんな思いで胸をふくらませて、3日目は西安へ行かれた9人と離別し、私一人帰国便に乗る。

 やれやれ日本に到着した後で最後の関門にぶつかる。税関の出所で土産の中国茶の袋を破ろうとされたり、靴をぬがされたり、丁度その時年配風の人がこちらに視線をむけているのがひらりと見える。ああわかった、この日は新米社員の抜き打ち検査で、そのくじ運にあたったのだと。再入国時にこんな経験したのも初めてで、どこまでも旅行気分を満喫できたことでした。

 

 

西安4日間の旅  2007.05.29 井戸康夫、慶子




兵馬俑 碑林の前で


 513日中国流囲碁の興奮も冷めやらぬうちに西安に到着、現地ガイド王さんに出迎えられ、あらたに4日間の観光が始まりました。 西安は2000年以上の歴史をもち見る場所も多く参観した場所、遺跡等の詳細についてはガイドブックに任せるとして、その時々に感じた印象を報告させていただきます。

 まず、西安市内の明時代の城壁、原型は唐時代のものとされ、スケールはその1/3程度とのことでしたが、それでも周囲は約14kmと壮大なものであり、この城壁の上少々暑かったですが北門から西門まで約7kmをカートで走り西門に到着、この西門付近がシルクロードの基点とされ、窓から真っ直ぐ伸びた道が見え、昔とは道路状況が違うとはいえロマンを感じました。

 また、絹織り絨毯の実演がされており、起源が西安とは認識を新たにしました。

 さらに、中国語で買い物をすることを買東西(マイトンシー)といい、おもしろい表現だと思っていましたが、今回この疑問は解けました。この当時この城壁の東門、西門付近でしか物が買えなかったため、この言葉の起源がこの門に由来しているとのことです。

次に秦時代の兵馬俑、兵俑等約7000対の俑があり、スケールの大きさと発見された刀剣のクロムメッキ等にみられる技術水準の高さは驚きでした。

もう一つは世界の他の文明が宗教と密接に結びついているのに中国では、もちろん土着の信仰はあったでしょうが、孔子、孟子等の儒教、道教等が社会秩序の統治に活用され、唐時代に石碑まで作られ碑林に2300点ほど保存されています。昔習った文章もあり、懐かしさも感じましたが、孔子の時代から唐まで1000年以上にわたる思想の普及度合いに改めてすごさを感じました。

兵馬俑といえば次は始皇帝陵、まだ発掘されていませんが、巨大な陵で内は現世が再現されている可能性があるとのこと、川は水銀で再現されているらしい。その昔、日本が黄金の国ジパングと呼ばれたころ日本では水銀アマルガム法によって金を産出していました。この秦の時代に水銀がよく知られていたとすれば唐の時代に楊貴妃が住んでいたこの近くの温泉地華清池あたりでこの方法が使われていたかも(勝手な想像?)

大雁塔 清龍寺

                        

さて、いよいよ仏陀の登場です。

 仏教はBC400−500頃インド.ネパール地区で生まれ、サンスクリット語から漢語への翻訳に手間取り、大いに普及し始めたのはAD400年後半(?)、唐の時代西安地区では相当広まったものと直感しました。参観した代表的な寺院が西遊記で有名な玄奘(三蔵法師)が翻訳した経典が納められている慈恩寺の大雁塔、釈迦の舎利が納められている法門寺は仏陀像があり、ほっとした気持ちで参観でき、しかも見所一杯でした。

 空海が修行した清龍寺遺跡が発見され、1/3程度の規模で再現されています。説明なしでこの寺をみるとまるで日本の寺かと思われます。それもそのはず、四国の方々の寄付で日本の寺をモデルにして建立されたとのこと。桜の名所になっているようです。

その他、乾陵(唐時代)はスケール壮大で、歴史博物館、イスラム寺院等も興味ある場所でした。

乾陵


               

 最後は唐時代より数えて1300年後の現在、近代的な大学、イルミネーションに彩られた町並み、ほとんど使われていないと思いますが、5mほどの断崖をくり抜いた住居(ヤン)どのように対比したものか迷いました。

 また、市内の劇場では唐風のおどりが演じられており、きらびやかで中国ではやはり唐の時代が日本の元禄時代と同様太平の世だったことを感じさせてくれました。

 最後に食は水が少なくても育つ麦が主体でやはり名物はギョーザ、種類は豊富ですが、店による食感の差がおおきく、当たりはずれがおおいにありました。麺はこしがなく、こしにうるさい人には合わないでしょう。酒は麦焼酎が主体です。焼酎ファンにとっては絶好のポイントかも?

 今回の食事は旅行社にたよらず経験豊富な岩月さまのガイドのもと、いろいろなものを食べました。名前は覚えていませんが

4元(60円)程度で良い味の食事も経験をさせていただきました。お勧め料理として全員がうまいといった料理を忘れないようにするために書きしるしておきます。

卵料理;蒸鶏蛋羔(中国読zheng ji dao gao

みなさまのおかげで楽しい旅行をすることができました。有難うございました。



敦煌・ウルムチへの旅  200706.01  西岡 鑑 

 ファンファン会の昨年の中原(洛陽、鄭州、開封)の旅の折、西域へも行ってみたいと話題になったものが今回、梅田、西岡の2名で「西安の追加の旅」として実現しました。

 自然風景が特異多彩で、シルクロードの要衝、仏教芸術の宝庫など浪漫を奏でる筈の敦煌とウイグル族、回族、カザフ族など13民族のルツボである筈の異郷の都ウルムチを旅することになりました。結果は期待に違わぬ感動と興奮そのものであったことを先ず記しておきます。


以下はFFWのホームページに記載しました。ご覧下さい。